NPO、千葉市と協働で動物公園に都川ミニ水族館

園長より感謝状を受けるNPO法人の武部理事長

 7月15日、松ヶ丘GONETとNPO法人都川の環境を考える会、千葉市動物公園が協力して準備を重ねてきた都川ミニ水族館がついにオープンにこぎつけました。間際になって水槽に供給する水(水道水は残留塩素がありそのままでは使えない)の浄化が予定通り行かず、とん挫しかけましたが、そこはさすがの人脈の厚さ。なんと井戸を1日で掘ってしまいました!!

都川の生態系が一目でわかる!

 このミニ水族館は単なる都川の生物の展示を目的したものではありません。水が汚れ川を中心にした生態系が破壊される現状、既に絶滅してしまった種、それでも必死に生き残っている種。この生き物たちは、人間の生活に無関係と考えてはいけません。海の水が水蒸気となり、雲となり、雨となって山に降り注ぎ、川を通じて再び海に戻る自然の循環のなかで、川の植物や生物は循環の過程で水を浄化する貴重な役目を果たしています。その証拠に、川岸や川底をコンクリートで固めた人間にとって一見きれいに見える都会の川は、ほとんど自浄作用が効かず、水は汚れたまま海に流れ込みます。結果として、海が汚れ、海の生き物たちも死んでゆきます。川の生き物たちは、それぞれ人間に役立つ役目を持って循環を支えてきたのです。これを、人間は自分たちの都合(土手が崩れる、氾濫しやすい、維持に手間がかかる・・・)だけで、好き勝手に改造してきたのです。その結果、川は自分できれいになる自浄作用を失ってしまいました。

特大水槽の前で解説するNPO法人の武部理事長

 このミニ水族館を通して、川の大切さ、人間の傲慢で身勝手な振る舞いが招いた結果を知ってほしいのです。

子どもたちの未来に繋ぐ環境のために・・・

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今年は、そうめん流し\(^o^)/

 

毎年、松ヶ丘GONETとNPO法人都川の環境を考える会が共催している「アドベンチャー都川」。近隣の小学校の親子に声をかけ、毎回大好評です。

今年も7月17日(土)(予備日は翌日)に開催します。

今年の目玉は、都川周辺で切り出してきた竹を使った「大 そうめん流し大会」

既に実験を行い、結果も上々\(^o^)/

こうご期待!

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愛しい桜よぉ~聞えているかな(*^^)v

6月6日、都川沿いに植えた桜の周りの草刈りを行った。刈払機で桜の木を傷つけないように慎重に下刈し、最後に人手で仕上げを行う。既に春先には花を少しづつ咲かせている桜たち。歳をとったからか、満開の桜を眺めながら、せせらぎの都川土手をのんびりと散策する自分の姿を夢見る。

仕上げは心をこめて・・お手伝いに来てくれた女の子

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自分の生き幅

ミレー 晩鐘

 混み合った電車やバスのなかで、他人が肩にかけたり背負ったバッグなどが当たって困惑したことはないだろうか。バッグの持ち主は他人に迷惑をかけていることなど全くわかっていない。バッグは自分からは見えないし、人に当たっていても自分の身体ではないから感じることもない。
 当たり前だが、バッグや傘など、自分の持ち物も自分の体の一部として気遣わねばならない。人はそれぞれ持ち物も含め、自分の幅を持って生きていることに気付いた。必要最小限の持ち物であれば人に接触することも少なく、接触してもそれを感じ、すぐに謝るなどの手当てができる。
 ところが、不相応な荷物を持てば、あちこちで自分で気付かぬうちに当て逃げし、周囲に迷惑をかけることになる。人間成長すればどうしても物心両面において身に付けるものが増える。しかし、自分が身に付けたものだけが幅を利かせ、相手を傷つけていないだろうか・・。自分の生き幅。相対する人(だけでなく、動植物や万物)の幅を思いやり、自分と相手の間に少しの余裕を持って共に生きたいものである。

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食べものを残すのはいけないこと。だってエコじゃないから。

ミレー「晩鐘」

 「食べものを残すのはいけないこと。だって「エコ」じゃないから」。最近は、そんな躾をしている親も多いらしい、と小耳にはさんだ。これは、それが躾?という疑問をもつオジサンの独り言(ツイート)である。
 私の田舎は山間の農家で、祖先が苦労して熊が出るような奥深い山の斜面を開墾しては、水路を作り、猫の額ほどの田んぼを少しづつ増やしながら、慎ましく生活していたらしい。子どもの頃は、両親が腰を曲げて作業する田んぼの畔で、一人おたまじゃくしやカエルやトンボと遊んだり、栗・アケビ・山ぶどうなどを採って食べたり、少なからず手伝ったりしたものだ。
 そんな農家であったから、ご飯粒を残すなど絶対に許されず、きびしく躾けられたものだ。しかしそれは、ごみになるとか、環境に悪いとか言う理由ではない。紛うことは無い、「山の神」への感謝なのだ。よく「残すと罰(バチ)があたる」といって叱られたものだ。そういえば亡くなった私のお婆ちゃんはよく、山に向かって火打石を打ち、掌を合わせていたものだ。
 もとより、現在のいわゆる「生ゴミ」は存在しなかった。自給自足する野菜は葉っぱや茎はもちろん、ほとんど全部食べていたし、少しばかり出る切れ端や、飼っている鶏の卵の殻などはそのまま畑の肥しとなっていたし、ときどきありつける川魚の骨や頭は猫の餌にもなっていたから。人糞だって堆肥にしていたのだから、人間も自然環境のなかでひとつの役割を果たす歯車となった資源循環はほぼ完ぺきで、無駄な物などなく、当たり前に「エコ」だったのだ。それでも僅かに出るごみらしき物も、殆ど庭先で燃やして問題のないものだった。
 しかし、そんな我が田舎にも文明の波が押し寄せ、罰あたりにも山遊びを捨て、科学的オモチャを欲しがり、科学的快楽の道具を欲しがるようになった私を含めた「明るい農村」の暮らしは一変し、今では、水洗トイレが付いて、各部屋にはクーラーが付き、NTTの光が射し、ブルーレイが回り、ハイブリッドが走り、ごみは分別収集され、テレビや家電製品などの不法投棄もあちこち見られるようになった。残念である・・・罰が当らなければいいが・・・。
 「山の神への感謝」とは、実はそのままご先祖様や、祖父母、父母への感謝であり、自然そのものへの畏怖を含んだ感謝なのである。そしてこれらの感謝は、とりもなおさず今生きている自分の命への感謝につながる。罰が当たる、とは、先人の躾というか子育ての知恵で、そういう領域まで自分自信の知性や情操を深めないと、きっと幸せになれないぞ、そしてそれを語り継がないと、子子孫孫の幸せは望めないぞ、ということなのだろう。そもそも「神」とは「思いやりのこころ」であり、「神に祈る」とは、外に求める物ではなく、ひたすら自分の内面に向かって問いかけを繰り返して答えを出していく、そういうもんだと私は勝手に決めている。
 いまどき、こんな「躾」は古い?のだろうか・・・・。エコロジーにとって代わられた「食への感謝」。「食への感謝」はそのままエコロジーとなるが、その逆は必ずしも「真」ではないのだが・・・。
 いま大切なのは爺、婆の知恵と教え。それに父ちゃん、母ちゃんを加えた、命をも懸ける深い愛なのだ。
 私が、歳をとって小煩(こうるさ)くなっただけなんだろうなぁ。大体、こんな理屈を並べ立てている私だって、今は都会の便利な暮らしに毒されてしまって、日々せっせとごみを出しているのだ。罰があたるなぁこりゃ~~( ..)( ..)あ”~~~(*_*;( ..)(;;)

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【かぶと虫といのちの循環】

 私の所属するNPO法人 都川の環境を考える会と松ケ丘GONETでは、川土手の草を刈り、その草を堆積することにより堆肥を作っています。そしてその堆積場には、かぶと虫の幼虫が沢山育っていて夏がくれば成虫になって飛び立っていきます。刈った草はごみではないのです。かぶと虫の幼虫は堆肥化した草を食べ、その糞は良質の土となります。そしてその土はまた木や草を育てる。これこそが自然循環の素晴らしさではないでしょうか。
 松ケ丘GONETでは、この他に仁戸名市民の森に青少年相談員と合同でかぶと虫牧場を運営しています。こちらでは、森の中で落ち葉を使ってかぶと虫を育てています。落ち葉も、もちろんごみではなく、貴重な自然循環の資源です。腐葉土となった落ち葉をかぶと虫などの幼虫が食べ、私たち生き物にとって無くてはならない酸素を供給する植物を育む良質の土になるのです。人類は人類だけでは命を繋ぐことはできません。動物・植物・水・空気・土・石にいたるまで関わり合っているのです。このことを自分の足元の事として、少しでも多くの方々に気付いて戴きたいのです。

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子ども達のこころに届けたいのに・・・

 地元の中学校区青少年育成委員会と公民館が共催する恒例の「子どものひろば」が2月28日(日)に開催されました。霙(みぞれ)も混じるあいにくの空模様にもかかわらず、なんと200名を超える子ども達が遊びに来てくれました。チリで発生した大地震による津波のニュースが聞える中、子ども達の元気な声が響き渡った一日でした。
 けん玉、こま回し、メンコ、だるま落とし、輪投げ、かるたなどの遊びの他に、千葉市のライブラリーから借りてきたビデオ上映を行いました。
 ビデオ上映を始めてから毎回、環境保全に関するものも上映しているのですが、子ども達に飽きさせずに、また何か子ども達のこころに残るような良いコンテンツがなかなか見つかりません。1回目は「ゴーミン」というキャラクターが演じるなかなか良い内容で、それなりに子ども達にも訴えることができたと思います。2回目には早速手詰まりで、前回と同じ物を上映したところ、狭い地域の事、リピータ達に飽きられ、低視聴率に泣きました。3回目の今回は同じにはできないので「知床」がテーマのほとんど大人向けの内容で、これも子どもには難しすぎたか・・・(-_-;)もちろん、これは主催者であり選者である私の責任であります。
 環境問題は、地球の将来(もちろん人間も含まれますね)に関わる大問題。そしてその主役はこれからを担う子ども達であることは間違いありません。
 なにか子ども達のこころに種を蒔きたい・・・そのことを一心に考え、悶々としているのであります(-_-;)

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街山づくり 仁戸名地区「ヒラタケ栽培」

 2010年2月21日。千葉市のモデル地域として整備中の仁戸名町の街山づくり作業に参加しました。地元の町内会やボランティアの有志により毎月1回のペースで作業をしています。今年は、これまでに間伐した木々を使って、森でひらたけ栽培に挑戦することになりました。指導していただいた「NPO法人みどりのネットワーク千葉」によると、ブナ・いぬシデなどの原木が向いているそうで、間伐で出たいぬシデを使うことができました。まずはチェーンソウで20cmくらいの丸太のコロにカットし、その切断面に糠やチェーンソウで出たオガクズと混ぜたヒラタケの菌を塗り(植菌)、切断面の合うコロ同志でサンドイッチにします。このサンドイッチを6月頃まで「仮伏せ」(湿度を保ちながら菌をコロ全体に繁殖させる)し、7月頃には本伏せ(適度の湿気のある地面に寝かせる)し、9月~11月にはヒラタケ鍋にありつける、という計画です。ご協力いただいた方々に感謝します。森よ、生き還れ!! 続きを読む

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地球はだれのもの?子どもたちに残すべきものは?

 2010年2月21日。千葉市内の中心部を流れる支川都川。「NPO法人都川の環境を考える会」と「松ケ丘GONET」は合同で川土手に近隣の子ども達と桜の苗木の植樹を行いました。約50組の親子が参加してくれ、50本の桜を植えることができました。3回目の今年で累計200本の植樹を終えました。
 私たちの願いは、川と水に親しむことにより、現在の川の状況を理解してもらい、子ども達の未来に向けてより良い自然環境を残したい、というものです。植えた桜にはネームプレートを付け、マイ桜として末永く見守ってもらいたいと考えています。
 不法投棄が後を絶たない現状のなかで、川の周辺の動植物は危機に瀕しています。一見、私たちの暮らしに無関係のようですが、実は森・川・海は密接に関係し、食物を例に挙げるまでもなく、私たち人間が生存するために必要不可欠なものなのです。今私たちが考え、行動しなければならないこと、それは「子どもたちの未来に繋ぐ環境を残す」ということなのです。子どもたちの幸せは、そのまま自分の幸せでもある筈。そして、そのまた子どもも同じです。私たち人間は、長い歴史のなかで命のリレーをしてきました。それは決して人類単独で成り立ってきたものではなく、地球という限られた器の中で、様々な生き物が共存してきたという事実を深く、重く受け止めなければなりません。ここ200年足らずで人間は、地球は人類の為だけにある、という大きな錯覚をしてしまいました。そして、わがもの顔で自然環境を削り、壊し、再生不能にしてきました。自然を愛し、慈しみ、恐れ、尊ぶことは、人間のいのちを考えることと同義です。
 まだ間に合う、と考えたいものです。そして、愛する子どもたちに何を残さなければならないかを、今こそ深く考えてもらいたいのです・・・自分の為に・・・おわり

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子どもたちに学ぶ・・松中生徒会

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中学校の生徒昇降口に備え付けられた手作りの回収箱

中学校の生徒昇降口に備え付けられた手作りの回収箱

 地元の松ケ丘中学校の生徒会が自主的にペットボトルキャップの回収を始めて3年目になります。最初はたったひとり、尊敬すべきK君の地道な呼びかけから始まりました。彼は寡黙であったが、その熱い心根はやがて仲間を動かし、学校を動かし、彼の卒業したのちにも生徒会のよき伝統となって今に続いているのです。
 ペットボトルキャップは黙っていれば可燃ごみとして税金を使って燃やされてしまいます。集めてリサイクルすれば、何度でもリサイクルできる建築資材となって生まれ代わります。産業革命以降、科学の発達を土台とした経済の発展こそが幸福に繋がると疑わなかった人類は、環境問題という人間の命の根源を脅かす負の遺産を築いてきました。地球という器は限りあると誰もが感づいていたにも関わらず、目をつむり、見て見ぬふりをしてきましたが、既に取り返しがつかないところまで来てしまったのかもしれません。今の子ども達、そしてそのまた子ども達にとって、自分たちの立つべき大地が危ういのです。
 限りある器に、ゴミを入れ続ければ溢れるのは当然のこと・・・。子ども達が、たったひとつのペットボトルキャップから自分の足元を見つめる姿を、我々大人は曇りのない目で見つめ、むしろ子ども達に学ぶ姿勢が大切なのだと思います。
 ありがとう、松中生徒会、ありがとう、子ども達。おわり

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