自分の生き幅

ミレー 晩鐘

 混み合った電車やバスのなかで、他人が肩にかけたり背負ったバッグなどが当たって困惑したことはないだろうか。バッグの持ち主は他人に迷惑をかけていることなど全くわかっていない。バッグは自分からは見えないし、人に当たっていても自分の身体ではないから感じることもない。
 当たり前だが、バッグや傘など、自分の持ち物も自分の体の一部として気遣わねばならない。人はそれぞれ持ち物も含め、自分の幅を持って生きていることに気付いた。必要最小限の持ち物であれば人に接触することも少なく、接触してもそれを感じ、すぐに謝るなどの手当てができる。
 ところが、不相応な荷物を持てば、あちこちで自分で気付かぬうちに当て逃げし、周囲に迷惑をかけることになる。人間成長すればどうしても物心両面において身に付けるものが増える。しかし、自分が身に付けたものだけが幅を利かせ、相手を傷つけていないだろうか・・。自分の生き幅。相対する人(だけでなく、動植物や万物)の幅を思いやり、自分と相手の間に少しの余裕を持って共に生きたいものである。

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