ある資産家のご遺族が千葉市に寄付したという広大な山林で、里山保全の一環として住民と行政が一体となり、自然公園作りに取り組んでいます。既に一部ではめだか池や田んぼを造成してお米を収穫するなど、大きな成果を上げています。(2009年6月19日、NHK「ご近所の底力 環境Special」でも紹介されました。)沢山の地元住民がボランティアで協力していていますが、鬱蒼(うっそう)として気味悪ささえ漂っていた雑木林が、自然の原型を残したまま自分たちの手で美しい自然公園に生まれ変わっていく姿を見ると、一様に大きな達成感と満足感が得られています。
さて、写真は2010年1月17日(日)の作業で、現場から出てきた不法投棄物の山です。空き缶や瓶は言うに及ばず、テレビ、洗濯機、電子レンジ、カーペット、バイク、タイヤ、自転車、ガスコンロ、便器、廃材、雑誌、得体のしれないものなど・・・。長年放置されていたため、半ば土中に埋まったものを掘り出さなければなりませんでしたが、作業をしているうちにふとした疑問が湧いてきました。金属やガラス、プラスチック、ゴムなどの素材でできていると思われるそれらの投棄物は、掘り起こしてみれば、ほとんど劣化や腐食していないのです。自分の専門外の、実に単純な疑問ですが、総てこの地球の自然界に存在する物質を原料として作り出したものであるのは確かなのに、その地球の土には容易に戻らないのでしょうか? 鉱物、化石燃料、動植物など(あるいはその成分)を材料にして化学処理したにしろ、あくまでも自然界に存在したものです。それらが容易に元に戻らないように「化工」した科学とはいったいなんだろう???と考えてしまいました。
「経済」という人類の作りだした最大にして最悪であるが不可避の矛盾構造のなかで、科学によって生成された我々人間の為だけの道具は、それを経済的に所有した人間の目的が潰(つい)えると、「ごみ」という名前に変えられて邪魔者になってしまうのです。しかも人類は、作りだすことはしても、それを元に戻すことは未だに考えていません。
<<「経済の矛盾構造」とはなにか。目に見えない人間の「欲望・快楽・傲慢」のために自然界の物質を採取・化工して「目に見える物」を作って、お金を媒介として売って(買って)、それを使う過程でまた別の物を生みだして、そしてそれらが目に見えない目的を達成できなくなると、「目に見える物」だけが「ごみ」という名前で地球に放置される。科学に支えられた経済はそれ自身、最早(もはや)人間にはコントロール不能だが、それでも人間の飽くなき欲望によって膨張を続ける。そして「目に見えるが、元に戻らないもの」だけが増え続ける。地球は唯一、人間の作り出していない目に見えるものであり、限られた器である。目に見える限られた器に、人間が作り出した目に見える「ごみ」が増え続けるとどうなるか。答えは「破綻・破滅」である。「ごみ」や「環境問題」ですらビジネスとして「経済」に取り込む動きがあるが、それがまた「ごみ」を生みだす。経済は破綻するために成長(膨張)するという構造的矛盾を抱えているのです>>
地球は、それらを元に戻すことを知らないのです。(あるいは、人間の業(ごう)が究極まで膨らんだ果てが【神】ならば、その神が全く別の形で「元に戻す」のかもしれませんが・・)
我々人類は、いまこそ人類しかできないことを成すべきです。そしてそれは、人類の為、などと曖昧なものではなく、自分の為、自分の足元の事、でいいのです。どうか・・・・
一首<元テレビ 山野にありて 朽ちもせず 映すは人の 後先の路>(おわり)
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千葉市でも少し中に入ると、すごい状態ですね
回りも含めて、住民意識を変える良い取り組みですね
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