よく駅構内の立ち食い店に寄る。うどんや蕎麦を食べたり、ラーメンを食べたりなのだが、そこで気になることがある。自分も含めて、ほとんどのお客が汁を残すのである。私は全部飲み干してしまいたいのであるが、塩分の過剰摂取が気になってどうにも飲めない場合が多い。もちろん、時間が無くて飲めないということもある。これは、立ち食いに限らず、街中のラーメン店やそば屋でも同じようで、まるで汁を残すのは「作法」であるかのようだ。
私が美味しいと気に入っている千葉駅の立ち食い店で、勇気を出してその希望(提案)を店員さんに話してみた。「ここの汁は美味しいと思うのだが、濃すぎる。好みもあるだろうから、手渡し口で希望により汁を少なめにし、食べるときに湯やそば湯などで好みに応じて薄める、などの手立てはどうだろうか?」と提案してみた。店員さんの答えは丁寧であった。「次から言っていただければ対応します」とのこと。
塩分を摂りすぎる、人前でどんぶりで顔を被って飲み干すのに抵抗がある・・・麺類の汁は残すのが当たり前なのだろうか。日本人に古くから親しまれる汁料理。味噌汁・吸い物に始まり、麺類、煮物、鍋物などバラエティー豊かである。しかし汁を残して捨てる文化になってしまったのは、いつからなのだろうか。鍋物など、残った汁にご飯やうどんなどを入れて食べ切ることを勧める料理店は珍しくない。「味付けに対する自信の顕れ」「もったいない」などの精神が息づいていて好感が持てる。残り汁として捨てられるのは水、醤油・だしなどの調味料、そして料理を作ってくれる人の手間とこころ。それらを食べ残して捨てる習慣・・・それは、豊かさの象徴かもしれないが、果たして人類を含めた地球環境の将来(もちろん、愛する子どもたちの未来でもある)や食への感謝を考えるとき、伝えて行くべき文化?とは断じて思わないのである。
今日も、外食ではラーメンのスープは塩分過剰だと言って絶対に飲み干さない妻が、家ではスープが気に入ったインスタントラーメンの残り汁にご飯を入れて食べている・・それを嬉しそうに見つめ、手を伸ばして味見をしたりなどする私。あっ!そうそう。お気に入りの千葉駅の立ち食い店。次の日にいつもの「得かけうどん」を何食わぬ顔で注文し、普通に出された物を食べていると、なんと、店員さんが後から、お椀一杯のお湯と汁さじをトレイに載せて持ってきてくれたのだ。私は嬉しくなって礼を言い、もちろん汁は総て飲み干し、店を出るときにはこころから「ご馳走様でした。美味しゅうございました。」と言ったものだ。それからというもの、「汁は少なめ、お椀一杯のお湯」のオジサンになってしまっている。
おわり
2024年12月 月 火 水 木 金 土 日 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ブログロール
サイト内検索