地球上の山や川、海の生物(人間以外の生物)はごみを作りません。地球は同じ生き物が暮らす場所なのに、人間だけが「ごみ」と称して「人間の為に人間が作り人間にとって必要でなくなった物を」を放り出しています。
人間は「人工物」と称して、人間が考え出した人間だけが使うもの、を自然界の資源を使い、必要なとき、必要なだけ作り、人間にとって不必要になると「ごみ」と名前を代えて捨て去ります。捨てるといっても消えてなくなるわけではなく、自然界に放置するのです。「人工物」は自然循環という重要な仕組みを無視した科学の力で作られているので、次第に「生物」の存在をも危うくしていきます。これが生態系(生物バランス)の破壊です。
愚かにも人間は「生物」のなかに「人間」が含まれることを理解していないのです。人間は他のどの生物も犯していない「地球上のあらゆるものとの共生の道」を踏み外し、人間が地球上でもっとも賢く、偉く、人間だけでも生き残れると勘違いし、「己が己自身と地球全体を破滅させる道」を歩んでいるかの様です。
ここで大切なことは「人間」が誰であるか、ということです。ここでもまた人間は愚かにも『それは自分以外の「人間」』と考えてしまうのです。人間とは誰であるか。それは「自分」に他なりません。 重要なことは「一番大切なことは、目に見えない」と考えることだと思うのです。真に必要なことは人間が思う正誤ではありません。目に見えぬものを見る教養(きっとこれが「愛」ではないでしょうか・・?)を身に付け、地球上のあらゆる問題を「自分の問題」と捉え、常に自分を含めて客観視し、あらゆるバランスを考え、その上で自分にできることをする。それこそが「人間の証明」だと考えます。 他に責任を押し付けない、他の責めにしない。人間は地球上の生物の中で唯一、自己以外の存在を理性として認めることができる生物です。一方で人間しか持ちえない科学が進めば進むほど、人間は己を含む生物や地球環境を駆逐していくという、皮肉な運命を辿っていくのでしょうか・・。