毎朝の通勤途上でバス停で3つ分、行きかう人たちに「おはようございます」、子ども達には「おはよう、行ってらっしゃい」と声をかけながら、手にした袋にはごみを拾いながら歩いて丸7年が経ちました。
何故そんなことをしているのか。「あいさつ&ごみ拾い運動」(今では「あいさつ&不要物移動」と呼んでいます)として始めたことなのですが、当の私が始めてから気付いたことについて傾聴していただければ幸いです。
当たり前に考えれば、子ども達が毎日通る道なのだから綺麗にしておきたい、ということなのですが、さらに深いところを考えて見ましょう。
子どもたちは、ほぼ毎日、同じ道を通って登下校しています。その「毎日」通る道がゴミだらけ、通行上も危険だらけ、行きかう人も無言で殺伐としている、としたらどうでしょう。そんな生活環境で、情操形成において一番大切な十数年間を育つとしたら・・・。
言うまでもなく人は見て、聞いて、嗅いで、触って、話して、生きています。原風景という言葉がありますが、子どもたちの心象風景として通学路は重要な一要素であることは間違いないでしょう。
道を花で一杯にし、車を遮断し、小旗を振って沿道で声援する、というのではないのです。大切なのは、誰がごみを拾い、誰が交通整理をし、誰が送り迎えをし、誰が声をかけるか、ということではなく、子どもたちの原風景作りに思いやりをもってキャスト(主役・脇役・裏方問わず)として参加し、街全体として子どもと、その将来に関わる、ということなのです。
通学路のごみを無くし、安全を確保し、住人の明るい笑顔とあいさつが交わされる中を子ども達に毎日歩いてもらいたい。今では「あいさつ&ごみ拾い運動」は「街のこころ」を作るためのもの、と考えています。子どもはいつまでも子どもではありません。「凛として清々しい」風景をこころに焼きつけながら育ってくれたなら・・。そして、そのこころ意気がまた次の世代に繋がれていったら・・。
「街のこころ」は政治や法律では作り得ません。「街のこころ」作りは決して他人の為のボランティアなどではなく、間違いなく自分の為であり、愛する子どもたちの将来の為、そして、人類の為、地球の為でもあるのです。自分の部屋をより広く、自分の家族をより多く。そう心がけて生きたいものです。おわり
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