食べものを残すのはいけないこと。だってエコじゃないから。

ミレー「晩鐘」

 「食べものを残すのはいけないこと。だって「エコ」じゃないから」。最近は、そんな躾をしている親も多いらしい、と小耳にはさんだ。これは、それが躾?という疑問をもつオジサンの独り言(ツイート)である。
 私の田舎は山間の農家で、祖先が苦労して熊が出るような奥深い山の斜面を開墾しては、水路を作り、猫の額ほどの田んぼを少しづつ増やしながら、慎ましく生活していたらしい。子どもの頃は、両親が腰を曲げて作業する田んぼの畔で、一人おたまじゃくしやカエルやトンボと遊んだり、栗・アケビ・山ぶどうなどを採って食べたり、少なからず手伝ったりしたものだ。
 そんな農家であったから、ご飯粒を残すなど絶対に許されず、きびしく躾けられたものだ。しかしそれは、ごみになるとか、環境に悪いとか言う理由ではない。紛うことは無い、「山の神」への感謝なのだ。よく「残すと罰(バチ)があたる」といって叱られたものだ。そういえば亡くなった私のお婆ちゃんはよく、山に向かって火打石を打ち、掌を合わせていたものだ。
 もとより、現在のいわゆる「生ゴミ」は存在しなかった。自給自足する野菜は葉っぱや茎はもちろん、ほとんど全部食べていたし、少しばかり出る切れ端や、飼っている鶏の卵の殻などはそのまま畑の肥しとなっていたし、ときどきありつける川魚の骨や頭は猫の餌にもなっていたから。人糞だって堆肥にしていたのだから、人間も自然環境のなかでひとつの役割を果たす歯車となった資源循環はほぼ完ぺきで、無駄な物などなく、当たり前に「エコ」だったのだ。それでも僅かに出るごみらしき物も、殆ど庭先で燃やして問題のないものだった。
 しかし、そんな我が田舎にも文明の波が押し寄せ、罰あたりにも山遊びを捨て、科学的オモチャを欲しがり、科学的快楽の道具を欲しがるようになった私を含めた「明るい農村」の暮らしは一変し、今では、水洗トイレが付いて、各部屋にはクーラーが付き、NTTの光が射し、ブルーレイが回り、ハイブリッドが走り、ごみは分別収集され、テレビや家電製品などの不法投棄もあちこち見られるようになった。残念である・・・罰が当らなければいいが・・・。
 「山の神への感謝」とは、実はそのままご先祖様や、祖父母、父母への感謝であり、自然そのものへの畏怖を含んだ感謝なのである。そしてこれらの感謝は、とりもなおさず今生きている自分の命への感謝につながる。罰が当たる、とは、先人の躾というか子育ての知恵で、そういう領域まで自分自信の知性や情操を深めないと、きっと幸せになれないぞ、そしてそれを語り継がないと、子子孫孫の幸せは望めないぞ、ということなのだろう。そもそも「神」とは「思いやりのこころ」であり、「神に祈る」とは、外に求める物ではなく、ひたすら自分の内面に向かって問いかけを繰り返して答えを出していく、そういうもんだと私は勝手に決めている。
 いまどき、こんな「躾」は古い?のだろうか・・・・。エコロジーにとって代わられた「食への感謝」。「食への感謝」はそのままエコロジーとなるが、その逆は必ずしも「真」ではないのだが・・・。
 いま大切なのは爺、婆の知恵と教え。それに父ちゃん、母ちゃんを加えた、命をも懸ける深い愛なのだ。
 私が、歳をとって小煩(こうるさ)くなっただけなんだろうなぁ。大体、こんな理屈を並べ立てている私だって、今は都会の便利な暮らしに毒されてしまって、日々せっせとごみを出しているのだ。罰があたるなぁこりゃ~~( ..)( ..)あ”~~~(*_*;( ..)(;;)

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千葉市中央区の松ケ丘地区でポツポツ、チマチマと(^^)動き回っています。「ゴミ」は深いですね~。人生そのもかもしれませんね~( ^^) _旦~~ 五十嵐
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食べものを残すのはいけないこと。だってエコじゃないから。 への1件のフィードバック

  1. Kids Shirt のコメント:

    初めまして,私はスペインの学生だった
    私のいいねあなたのblogs,私の日本の教師は賛美私:
    家貧しければ良妻を思う

    私は非常に満足している (-_-メ)

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